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東京高等裁判所 平成9年(行ケ)49号 判決

東京都港区南青山2丁目1番1号

原告

本田技研工業株式会社

代表者代表取締役

〓野浩行

訴訟代理人弁理士

佐藤辰彦

鷺健志

本間賢一

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 伊佐山建志

指定代理人

浅野長彦

井口嘉和

田中弘満

小池隆

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  原告の求めた裁判

「特許庁が平成7年審判第27430号事件について平成9年1月17日にした審決を取り消す。」との判決

第2  事案の概要

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和61年2月28日、名称を「エアバッグの排気口配置構造」とする発明につき特許出願をし(昭和61年特許願第44772号)、平成4年3月26日出願公告されたが(平成4年特許出願公告第17811号)、特許異議申立てがあり、平成5年5月13日手続補正書を提出したが、平成7年9月15日拒絶査定があったので、これに対する審判請求をし、平成7年審判第27430号事件として審理された結果、平成9年1月17日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は平成9年2月24日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

車両のステアリングホイールにリテーナを取り付け、このリテーナ内にガス発生器とエアバッグとを収納し、これら発生器とエアバッグとを展開可能のカバー片を有するカバーにより覆うと共に、内部への流入流体によりエアバッグを膨張させて該ステアリングホイールと乗員との間に位置せしめるようにしたエアバッグ装置において、

前記エアバッグには、膨張時に該ステアリングホイールの内側となり、且つ展開されたカバー片の外側で、該カバー片により閉塞されない位置に排気口が形成されている、

ことを特徴とするエアバッグの排気口配置構造。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前記2のとおりである。

(2)  引用例

これに対して、原査定の拒絶の理由で引用した特許異議申立人、金城功が提出した審判甲第2号証(本訴甲第5号証)、すなわち、「米国市場向け最終製品、ダイムラーベンツ エアバッグ システムの開発(THE DEVELOPMENT OF A FINAL PRODUCTION DAIMLER-BENZ AIR BAG SYSTEM FOR THE U.S.A. MARKET)」(1980年10月21日~24日に、ドイツ国、ボルフスブルク市、シティーオーディトリアムで行われた「実験安全車両に関する第8回国際技術会議」において頒布された冊子。以下「引用例」という。)には、「エアーバッグ」が記載されている。

そして、引用例の7頁4行ないし6行には、「そのバッグは、ネオプレンコートのナイロンで構成され、必要とされるエネルギー吸収度に対応して、相応に作られた排気口を有する。」と記載され、また、引用例の第6図には、「ドライバー エアバッグ」の標題とともに、折り畳まれてステアリングホイールの内側に収納された状態のエアバッグと、ステアリングホイールの内側に備えられたガス発生器と、ステアリングホイールと乗員との間に位置して膨張した状態のエアバッグが記載されており、かかる両記載から、エアバッグには、膨張時に該ステアリングホイールの内側となる位置に排気口が形成されていると推定できる。

また、引用例の第10図には、「ドライバー エアバッグ 構成要素」の標題とともに、エアバッグの中央に設けられたガス発生器に接続される楕円形の穴の周囲に、小口径の4つの丸穴から成る排気口が示され、該楕円形の穴の左横にはカバーが示されており、上記4つの丸穴から成る排気口に囲まれた部分の大きさは、カバーの大きさと同等若しくはわずかに大きいにすぎないことが認められる。

さらに、引用例の第13図には、運転者側のエアバッグの全システムが展開して示され、同図中の左上には、ステアリングホイール、その右隣には、折り畳まれたエアバッグを収納した状態のカバーが示されており、カバーはステアリングホイールの内側に収納され、ステアリングホイールの十分内側に位置することが理解される。このことから、カバーの大きさと同等若しくはわずかに大きい位置に配置されているにすぎない上記4つの排気口は、ステアリングホイール1の内側に位置すると解される。

したがって、引用例の第6図のエアバッグには、膨張時に該ステアリングホィール1の内側となる位置に排気口が形成されている構成が記載されていると解するのが合理的である。

また、引用例の第10図にはエアバッグの楕円形の穴の右横にガス発生器が、右下にリテーナがそれぞれ示されていることを参酌すると、引用例の第6図の収納状態のエアバッグ4は、リテーナ内にガス発生器2と共に収納されカバーにより覆われていると解される。

そもそも、エアバッグ装置においては、ガス発生器からのガスによりエアバッグを膨張させるためにカバーを展開可能な構造とすることから、引用例の第10図に示されたカバーは、展開可能のカバー片を有していると解される。

引用例に記載された事項は以上のように解されるから、引用例には、次の発明が記載されているものと認められる。

「車両のステアリングホイール1にリテーナを取り付け、このリテーナ内にガス発生器2とエアバッグ4とを収納し、これら発生器2とエアバッグ4とを展開可能のカバー片を有するカバーにより覆うと共に、内部への流入流体によりエアバッグ4を膨張させて該ステアリングホイール1と乗員との間に位置せしめるようにしたエアバッグ装置において、

前記エアバッグ4には、膨張時に該ステアリングホイール1の内側に排気口が形成されている、エアバッグ。」

(3)  審決がした本願発明と引用例との間の一致点、相違点の認定

本願発明と、引用例に記載された発明とを対比すると、両者は、

車両のステアリングホイールにリテーナを取り付け、このリテーナ内にガス発生器とエアバッグとを収納し、これら発生器とエアバッグとを展開可能のカバー片を有するカバーにより覆うと共に、内部への流入流体によりエアバッグを膨張させて該ステアリングホイールと乗員との間に位置せしめるようにしたエアバッグ装置において、

前記エアバッグには、膨張時に該ステアリングホイールの内側に排気口が形成されている、

エアバッグの排気口配置構造

である点で一致しており、本願発明が、

展開されたカバー片の外側で、該カバー片により閉塞されない位置に排気口が形成されているのに対し、引用例に記載された発明は、展開されたカバー片の外側で、該カバー片により閉塞されない位置に排気口が形成されているか否か明らかではない点

で相違する。

(4)  審決がした相違点の検討

上記相違点について検討する。

まず、エアバッグに排気口を設けるのは、膨張時にエアバッグ内に流入したガスを必要量排出して、乗員がエアバッグからの反動(本願発明でいう「リバウンド」。本件願書である甲第2号証の6頁13行目参照。)を受けるのを防止することを目的としており、必要量のガスの排出を確実に行えるようにするためには、排気口の大きさ、個数だけではなく、排気口が塞がれないようにすることが設計上考慮される。

そうすると、引用例に記載された発明における排気口の位置を、必要量のガスの排出を確実に行えるように、膨張時に、本願発明の上記相違点で示したように、展開されたカバー片の外側で、該カバー片により閉塞されない位置に排気口を形成する構成とすることは、当業者が容易に想到できた。

(5)  審決の結び

したがって、本願発明は、引用例に記載された発明に基づいて、その出願前その技術の分野における通常の知識を有する者が容易に発明をすることができたから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

第3  原告主張の審決取消事由

審決認定の本願発明と引用例に記載された発明との間の一致点の認定、相違点の認定は認める。しかしながら、審決には、引用例に記載された発明の技術内容を誤認した結果、本願発明との相違点を限定して認定した誤りがあり(取消事由1)、また、相違点に関する判断の誤りがあり(取消事由2)、その結果本願発明の進歩性を誤って否定したものであるから、取り消されるべきである。

1  取消事由1(引用例に記載された発明の技術内容の誤認、相違点の誤認)

(1)  審決は、引用例に記載されたエアバッグについて「展開されたカバー片の外側で、該カバー片により閉塞されない位置に排気口が形成されているか否か明らかではない」と認定しているが、誤りである。すなわち、引用例に記載のものは、エアバッグの排気口の配置に関し、「前記エアバッグ4には、膨張時に該ステアリングホイール1の内側であって、展開されたカバー片により覆われる位置に排気口が形成されている」構成となっているので、審決は、相違点を限定して認定した誤りがある。

(2)  引用例の第10図には、エアバッグの中央に設けられたガス発生器に接続される楕円形の穴の周囲に、小口径の4つの丸穴から成る排気口が示され、該楕円形の穴の左横にはカバーが記載されている。この4つの丸穴から成る排気口に囲まれた部分の大きさは、前記カバーの大きさと同等若しくはわずかに大きい程度であり、その上下方向の長さが前記カバーと同等若しくはわずかに大きく、左右方向の長さが若干前記カバーより小さい程度である。このカバーは、エアバッグの膨張時には、上下方向の中間部の線から破断して、上下に分割された各カバー片が展開するものと解され、この展開された上下のカバー片が前記4つの排気口の全体若しくは大部分にオーバーラップすることは明らかである。

(3)  引用例に記載されたものと実質的に同一である甲第10号証の1ないし8(ベンツのアメリカ合衆国向け1984年モデル車の380SEに搭載されたエアバッグ装置の写真)に示されたエアバッグが同号証の7の写真に示されるように、膨張時に展開された上側のカバー片によって4つの排気口のうち2つの排気口の大部分が閉塞され、また、同号証の8の写真に示されるように、エアバッグの膨張時に展開された下側のカバー片によって残りの2つの排気口の一部が閉塞される。このことから、引用例に記載のエアバッグは、膨張時に展開されたカバーにより少なくとも一部又は大部分が閉塞される位置に排気口が形成されるものということができる。

なお、引用例に「Thiokol社のガス発生器(第5図)は、この5年間に当社の乗用車に調整され、モデル・イヤー1982年から米国ならびにカナダで販売されるすべての乗用車に搭載される予定である。」(6頁1行ないし5行)と記載されているところ、前記甲第10号証の4の写真に示されたカバーの裏側には「10.11.1983」と製造年月日が印字されており、自動車業界で1984年モデル車とはその前年の1983年には製造が開始されるので、前記印字からこのエアバッグが1984年モデル車用であることがわかり、また、同号証の5の写真に示されたガス発生器のラベル上部には「THIOKOL」の製造者名が表示されているから、引用例のエアバッグが米国向け乗用車用であることがわかる。引用例のエアバッグは、「アメリカ合衆国ならびにカナダにおけるモデル・イヤー1982年から生産開始が予定されている」ものであったが、アメリカ合衆国レーガン政権がエアバッグ等に関する連邦規制の実施を延期したため、メルセデスベンツ社は1982年モデル車にエアバッグを搭載する予定であったのを、アメリカ合衆国政府の決定があるまでエアバッグの搭載を延期した。その後、メルセデスベンツ社は1984年モデル車の一部にエアバッグシステムを搭載することを発表した。この発表を伝える甲第12号証(NEXISデータベースに記録されたザ・ニューヨーク・タイムズ1983年2月3日木曜日最終版)は、「エアバッグ自体はネオプレン・コーテッド・ナイロン製であり、ステアリング・ホイールのハブ内部のキャニスターの一番上に折り畳まれている。キャニスター内には98グラムの窒水素酸ナトリウムがアスピリン・サイズのタブレットの形で収納されている。それらは黒色火薬とほぼ同様に空気中で急速に燃焼し、窒素ガスを放出してバッグ内を充満させ、ステアリング・ホイールの中央部を裂開して、ドライブバーの衝撃を緩和するためのレンズ状バルーンを出現させる。そのバッグは直径1インチの4個の排気口を備えており、ドライバーがバッグに衝突するときに排気する。」(本文26行ないし30行)と記載しており、このエアバッグが引用例のエアバッグと同じ構成を備えていることを示している。

甲第10号証のベンツのアメリカ向け1984年モデル車用のエアバッグは、膨張時に、展開されたカバーにより少なくとも一部又は大部分が閉塞される位置に排気口が形成されているものである。すなわち、このエアバッグにおいては、エアバッグに排気口を設けるに当たって、排気口が塞がれないようにすることは設計上考慮されておらず、引用例に記載のものもそのような構成となっている。

2  取消事由2(相違点の判断の誤り)

(1)  審決は相違点の判断において、エアバックに排気口を設けることに関して、「エアバックに排気口を設けるのは、膨張時にエアバック内に流入したガスを必要量排出して、乗員がエアバックからの反動(本願発明でいう「リバウンド」)を受けるのを防止することを目的としており、必要量のガスの排出を確実に行えるようにするためには、排気口の大きさ、個数だけではなく、排気口が塞がれないようにすることが設計上考慮される。」と認定し、エアバックに排気口を設ける場合、ガスの排出を確実に行えるようにするために、排気口が塞がれないようにすることが当然であるかのように認識しているが、誤りである。

(2)  前示のとおり、引用例の第10図のエアバッグでは、膨張時にカバー片により少なくとも一部が閉塞される位置に排気口が形成されている。また、ベンツの1984年モデル車用のエアバッグの写真である甲第10号証に示されたものは、エアバッグの膨張時に、排気口の少なくとも一部がカバー片によって閉塞される位置に排気口が形成されており、さらにベンツの1998年モデル車用のエアバッグの写真である甲第14号証においても、エアバッグの膨張時に、排気口のほぼ半分がカバー片によって閉塞される位置に排気口が形成されている。このように、ベンツのエアバッグにおいては、エアバッグに排気口を設ける場合に、排気口に塞がれないようにすることが、設計上考慮されているとはいえない。

(3)  甲第6号証(特許第2563880号特許公報)はダイムラーベンツ社と同系列会社のメルセデスベンツ社の特許出願に係るものであるが、そこには、本件出願前のエアバックの従来技術として、ドイツ連邦共和国特許出願公開第1935426号明細書(1970年(昭和45年)1月22日発行。甲第7号証)が示されており、同明細書には、「封納体34への衝突による運転手40の反動を抑えるために、封納体34の基底部分44に、一対の圧力応答装置あるいは吹出装置114、116が設けられている。吹出装置114と116は、通常円形になったあて布又は断片118、120より構成され、それらあて布は封納体内部に取り付けられ、通常円形になった孔122、124を塞いでいる。封納体34に所定の圧力がかかると、あて布118、120は、それらあて布を封納体の基底に固定している縫い目からはぎ取られ、封納体から孔122、124を通じて流体が流出することができる。この流体流出により、封納体内部の圧力が下がり、封納体がしぼみ、それによりエネルギーが吸収され、乗員が封納体から受ける反動が最小限に抑えられる。」(11頁13行ないし28行)と記載されている。

上記甲第6号証には、従来技術としてドイツ連邦共和国特許第1680034号明細書(1971年(昭和46年)12月9日発行。甲第8号証)が示され、同明細書には、「袋18は、従来周知の手段のように破断箇所を有し、その破断箇所は通常は閉鎖され、袋18内において所定の圧力を越えると裂開される。この破断箇所は袋18内にあり、断片22により覆われた孔24から構成される。……図2及び4から明らかなように、断片22は、通常、孔24の周縁の一部に沿って裂け、一方、残りの部分は袋18にくっついたままである。断片が袋18が膨らんでいる最中に裂けるか、乗員16の衝突後に裂けるかは、ガス容器内の気圧及び(或いは)袋若しくは断片の壁厚等の量に左右される。本発明に従って開発した安全装置は両方の作動方法に対応して設計される。」(3欄22行ないし4欄12行)と記載されている。

これらの記載から明らかなように、ダイムラー・ベンツ社と同系列会社が、従来技術のエアバックとして記載したものは、いずれもエアバックに設けられた流出開口が、エアバック内に特定の圧力が生じた場合に破断し又は開口する継ぎ布又は閉鎖部材で閉塞される構造で、これらは、エアバックを速やかに膨張させるために、エアバックの膨張時には積極的に排気口を閉塞しておくことを意図しており、排気に関しては、エアバック内に所定の圧力が生じた場合、その圧力により前記継ぎ布又は閉鎖部材を破断等して開口するので、排気口が閉塞されていても差し支えないとの考えを前提としている。

さらに、甲第6号証は、エアバックに設けた排気口を前記継ぎ布又は閉鎖部材で閉塞する代わりに、エアバックの膨張時に展開するカバーを用いて、このカバーにより積極的に排気口を閉塞するもので、エアバックの膨張時にはむしろ積極的に排気口を閉塞する必要があることを前提するものである。

(4)  以上からすれば、ダイムラー・ベンツのエアバッグの排気口は、エアバッグの早期膨張のために、膨張途中は排気口を閉塞部材やカバー片により閉塞しておく一方、リバウンド防止のためには、膨張時にはエアバッグ内の圧力上昇により閉塞部材やカバー片を開口すれば、ガスを十分に排出可能であるとの思想が基本にあり、いわばエアバッグの早期膨張を重視した思想となっている。そのため引用例、甲第10号証、甲第14号証のエアバッグでは、膨張時のカバー片では、膨張時のカバー片により少なくとも排気口の一部が閉塞される位置に排気口が形成されているのであり、このように形成することがむしろ設計上考慮されていると考えられる。

したがって、エアバッグに排気口を設ける場合には、当然のように排気口が塞がれないようにすることが設計上考慮されるとした審決の認定判断は誤りである。

(5)  本願発明は、前記ベンツのエアバッグのような技術的思想とは異なり、排気口を閉塞部材やカバー片により一部又は全部が塞がれる位置に排気口を形成した場合には膨張時に排気口から確実に排気できない場合があることを認識したことを出発点として、そのような排気の確保が不安定な位置に排気口を形成することを避け、膨張時に排気口が全く閉塞されない位置、すなわち完全に排気口が開口する位置に排気口を設けることにより、確実に排気を行ってリバウンドを確実に防止することを目的としたもので、いわばリバウンド防止を確保するとの安全性を強く考慮して、排気の確保を重視したものである。

このような、リバウンド防止確保のための安全性を強く考慮し、排気の確保を重視するとの本願発明の技術的思想や、その実現のための、膨張時に展開したカバー片により閉塞されない位置に排気口を設けた本願発明の構成は、前記ベンツのエアバッグには全くみられないものであり、両者は前提とする技術的思想から異なる。そして、本願発明の上記技術的思想及びその実現のための構成は、本件出願前には開示されていない。

(6)  したがって、引用例には、エアバッグの膨張時に、展開されたカバー片の外側で、該カバー片により閉塞されない位置に排気口が形成されているという本願発明の特徴的構成は開示されておらず、また、本件出願前には、エアバッグに排気口を設ける場合に排気口が塞がれないようにすることが設計上当然に考慮されていたとは到底いえないので、本願発明は、引用例に基づき当業者が容易に発明できたものには該当しない。これに反する審決の認定判断は誤りである。

第4  審決取消事由に対する被告の認否、反論

審決の認定判断は正当であり、原告の審決取消事由はすべて理由がない。

1  取消事由1について

(1)  分解図である引用例の第10図に記載されたエアバッグは、組立時の引用例の第6図を参酌しても、膨張時にステアリシグホイールの内側に排気口が形成されていることは明らかであるものの、カバー片と排気口との関係が明確に示されていないため、展開したカバー片と排気口との位置関係は不明瞭である。なお、第6図は膨張時の側面図であり、平面視の構成が明確に特定できるものではない。

原告は、引用例に記載のものにおける排気口の位置は甲第10号証の1ないし8や、甲第14号証の1ないし5のように、カバー片によって部分的に塞がれた位置にあると主張するが、審決で引用したのは引用例であり、原告の主張は審決から離れた主張である。

(2)  リバウンドを防止するための排気口は、確実かつ早期にエアバッグ内の圧力を高めるために、膨張過程でエアバッグのガスの圧力が一定圧力になるまでは排気口を開放せず、ガスの圧力が一定圧力になると自動的に排気口を開いてガスを放出する形態と、エアバッグからのガスの排出を排気口のみで行う形態に大別できるが、いずれの形態のものも、膨張前に排気口が閉塞されることはあっても、膨張時に排気口が閉塞されないようにすることが基本的設計思想であるから、引用例の第10図のエアバッグも、平面視でカバー片の完全に内側の位置に排気口を形成して、膨張時に排気口を閉塞するように設計することはあり得ない。

(3)  引用例は、「そのバッグは、ネオプレンコートのナイロンで構成され、必要とされるエネルギー吸収度に対応して、相応に作られた排気口を有する。」(7頁4行ないし6行)と記載し、乗員の2次衝突に伴う衝撃をエアバッグに形成した排気口の絞り作用を利用して緩和するために、排気口から適正な排気が行われるように相応に作られていることを説明しており、エアバッグの排気口が何ものかによって塞がれるとすると、排気口がエネルギー吸収度に対応して相応に作られているにもかかわらず、設定した必要なエネルギー吸収度を維持できなくなるという不都合が生じる。

(4)  したがって、引用例に記載のものは、「展開されたカバー片の外側で、該カバー片により閉塞されない位置に排気口が形成されているか否か明らかではない」ものの(審決の相違点の認定)、非気口は設定したエネルギー吸収度を実現するためには閉塞されることがないように設計する必要のあることを示唆している。

2  取消事由2について

(1)  前記のとおり、リバウンドを防止するための排気口は、確実かつ早期にエアバッグ内の圧力を高めるために、膨張過程でエアバッグのガスの圧力が一定圧力になるまでは排気口を開放せず、ガスの圧力が一定圧力になると自動的に排気口を開いてガスを放出する形態と、エアバッグからのガスの排出を排気口のみで行う形態に大別できるが、いずれの形態のものも、膨張前に排気口が閉塞されることはあっても、膨張時に排気口が閉塞されないようにすることが基本的設計思想である。したがって、引用例の第10図のエアバッグも、平面視でカバー片の完全に内側の位置に排気口を形成して、膨張時に排気口を閉塞するように設計することはあり得ない。

要するに、リバウンド防止のためにエアバッグに形成された排気口は、いかなる種類の排気口であっても、膨張時にガスの排出が何ものによっても阻害されることがないようにすることが基本的設計思想となっている。そして、いずれの形態の排気口であっても、排気口の大きさや個数を最適に設計することにより、必要とされる排気量を確保するばかりでなく、排気口を閉塞されない位置に設けることは周知である。

(2)  審決は、このようなエアバッグの排気口の基本的設計思想のあることに基づき、本願発明の相違点に係る構成の推考容易性を述べており、かかる審決の判断に誤りはない。

なお、原告は、甲第10、第14号証で示すように、引用例には、平面視で展開されたカバー片の外側に部分的に排気口が形成されている構成が記載されているから、かかる引用例に記載のエアバッグから、平面視で展開されたカバー片の完全に外側に排気口が形成されている本願発明の構成は、当業者が容易に想到できないものと主張するが、そもそも、エアバッグの排気口は何ものによっても閉塞されないようにすることが基本的設計思想であるから、平面視で展開されたカバー片の外側に部分的に排気口が形成されている構成が示されている場合には、必要に応じてカバー片によって閉塞されない位置、すなわちカバー片の完全に外側の位置に排気口を形成するように設計することは、当業者が当然に考慮するべき事項であり、当業者が容易に想到できたことである。

第5  当裁判所の判断

1  審決取消事由1についての判断

(1)  本件出願当時における、エアバッグに排気口を設けることについての技術的課題及び排気口の従来技術に関しては、以下のとおりの刊行物の記載があったことが認められる。

〈1〉 甲第7号証(ドイツ連邦共和国特許出願公開第1935426号明細書。1970年(昭和45年)1月22日発行)11頁13行ないし28行の記載

「封納体34への衝突による運転手40の反動を抑えるために、封納体34の基底部分44に、一対の圧力応答装置あるいは吹き出し装置114、116が設けられている。吹出装置114と116は、通常円形になったあて布又は断片118、120より構成され、それらあて布は封納体内部に取り付けられ、通常円形になった孔122、124をふさいでいる。封納体34に所定の圧力がかかると、あて布118、120は、それらあて布を封納体の基底に固定している縫い目からはぎ取られ、封納体から孔122、124を通じて流体が流出することができる。この流体流出により、封納体内部の圧力が下がり、封納体がしぼみ、それによりエネルギーが吸収され、乗員が封納体から受ける反動が最小限に抑えられる。」

〈2〉 甲第8号証(ドイツ連邦共和国特許第1680034号明細書。1971年(昭和46年)12月9日発行)の3欄22行ないし4欄12行の記載

「袋18は、従来周知の手段のように破断箇所を有し、その破断箇所は通常は閉鎖され、袋18内において所定の圧力を越えると裂開される。この破断箇所は袋18内にあり、断片22により覆われた孔24から構成される。……図2及び4から明らかなように、断片22は、通常、孔24の周縁の一部に沿って裂け、一方、残りの部分は袋18にくっついたままである。断片が袋18が膨らんでいる最中に裂けるか、乗員16の衝突後に裂けるかは、ガス容器内の気圧及び(あるいは)袋若しくは断片の壁厚等の量に左右される。本発明に従って開発した安全装置は両方の作動方法に対応して設計される。」

〈3〉 乙第2号証(特公昭47-36970号公報)7欄44行ないし8欄11行の記載

「吹き出し装置114、116は通常円形のあて布118、120を有し、それ等は封納体の内方にあって通常円形になった孔122、124を塞いでいる。封納体34の内部があらかじめ定められた圧力に達すると、あて布118、120は封納体の基部に固定されている縫い着けから引裂かれて離れ、それで流体は孔122、124を通って封納体の外に流出する。このように流体が外方に流出することにより封納体内の圧力が低下し封納体はしぼんで、そのため勢力が吸収され乗員の封納体に対する反跳は最小にとどめられる。」

〈4〉 乙第4号証(特開昭49-934号公報)2頁右上欄11行ないし左下欄7行の記載

「バックボックス30は、第6図および第7図にて示すように、合成樹脂材料により一体形成した有底筒体からなり、その開口部周縁には外方に湾曲したフランジ部31が形成され、またその底部50aにはステアリングシャフト14の連通路14aを通して供給される高圧ガスを衝撃吸収袋50内に導入するための流入口52と衝撃吸収袋50の内圧が一定圧力以上に上昇しないようにするための排出弁33が設けられている。排出弁33は、第6図にて明瞭に示されているように、前記流入口32の下方両側にてバックボックス30と一体的に形成されており、底部30aの一部分33a、33b、33cを薄く形成して、衝撃吸収袋50の内圧が一定圧力に達すると前記部分33a、33b、33cが破断し、他の部分33dを蝶番として底部30aを開口し、衝撃吸収袋50内の高圧ガスを排出するように構成されている。」

〈5〉 乙第1号証(実開昭49-116743号のマイクロフィルム)2頁20行ないし4頁1行の記載

「本考案は空気袋2の任意個所に筒状の解放せる抜気孔3を装着したことを特徴とする空気袋である。……該筒状体によって空気袋内の空気と袋外の空気とは遮断されることなく常に解放状態にある。従ってガスは該抜気孔から放出される。又該抜気孔の取付けは1個所に限定するものでなく数個所に取付けても差支えなく更に又、該抜気孔の装着位置はガスが人体、特に顔面に放出することなく、また人体あるいは高速移動体に装着された物体によってガスの放出が妨げとならない場所ならいかなる場所に装着してもよい。次に筒状体の抜気孔の大きさ、即ち筒状体の内径及び長さは空気袋の大きさ、ガス発生装置1の能力、あるいは抜気孔の数などによって決まるものであり、これらの条件を考慮し決定することにより適正な抜気状態で空気袋の内圧を制御し人体を外的な衝撃から安全且つ安定状態で緩和吸収することが可能となる。」

(2)  上記各記載によれば、エアバッグに排気口を設けるのは乗員が膨張したエアバッグに衝突したときにリバウンド(跳ね返り)を防止ないしは減少するためであり、本件出願当時の排気口の技術水準として、エアバッグの膨張過程で内部が所定圧力に達するまでは排気口があて布等で塞がれており、乗員の衝突等による所定圧力に達すると、その圧力によりあて布等が引き剥がされ又はあて布等が裂開されて、排気口からガスが排出されるものと(上記〈1〉、〈2〉、〈3〉、〈4〉)、エアバッグの膨張時に排気が妨げられない場所に排気口を形成するもの(上記〈5〉)の2つの形態が存在していたことが認められる。そして、前者の形態は、エアバッグの早期膨張を重視した設計思想に基づき形成され、後者の形態は、エアバッグのリバウンド防止を重視するとの設計思想に基づき形成しているものと認めることができ、いずれの形態にあっても、乗員がエアバッグヘに衝突したときには排気口から排気が行われるものであると認められる。

引用例の7頁4行ないし6行に、審決認定のとおり「そのバッグは、ネオプレンコートのナイロンで構成され、必要とされるエネルギー吸収度に対応して、相応に作られた排気口を有する。」と記載されていることは原告も争わないところであるが、この記載のとおり、引用例記載のものの排気口もリバウンド防止の作用を有するものと認められるから、乗員が膨張したエアバッグに衝突したときには当然に排気口から排気が行われるものであり、排気口の位置が展開されるカバー片との関係において、展開されたカバー片の外側で、該カバー片に閉塞されない位置、展開されたカバー片の内側でカバー片に閉塞される位置(この位置においても、乗員がエアバッグに衝突しエアバッグ内の圧力が所定値を越えたときには、カバー片が排気口を開き排気できるものであることは、技術常識から明らかである。)、排気口に一部閉塞される位置のいずれにあっても排気口からの排気が行われるものということができる。

しかるに、甲第5号証によれば、引用例に記載の排気口が前示のいずれの設計思想に基づいて形成され、その位置を展開されたカバー片との関係においてどの部分に位置させるかについて明示する記載はなく、その第10図にも、「ドライバーエアバッグ 構成要素」の標題の下に、エアバッグを構成する要素の分解した図中に、エアバッグの中央に設けられたガス発生器に接続される楕円形の穴の周囲に少口径の4つの丸穴から成る排気口が示され、楕円形の穴の左横にはカバーが示されているにすぎないことが認められる。そして、第10図には、それぞれの要素の大きさ、要素間の位置関係を示す寸法等も記載されていないので、この第10図の分解図のみからは、排気口がいずれの位置にあるのかを明確に読み取ることができるものではなく(なお、第6図は膨張時の側面図であり、平面視の構成を特定できるものではない。)、原告主張のように、引用例記載のものは、「前記エアバッグ4には、膨張時に該ステアリングホイール1の内側であって、展開されたカバー片により覆われる位置に排気口が形成されている」との構成が採用されており、この点で本願発明と相違するものと明確に認めることはできない。

(3)  原告は、本訴において、新たに甲第10号証及び第14号証の写真を提出し、その被写体は引用例のエアバッグと実質的に同一のものであるとし、これらの書証からみれば、甲第10号証の第10図に示された排気口がカバー片により少なくとも一部閉塞されるものと認められると主張する。

しかしながら、本件審判で審理されたのは、刊行物(冊子)である引用例に記載のものに基づき、当業者が本願発明を容易に推考することができたか否かであって、引用例に記載されたエアバッグの説明及び図面に基づき実際に製作されたものと推認される現実のエアバッグと対比して本願発明の進歩性の有無を判断したものではない。審判においては、引用例が本願発明と対比されたのであり、引用例記載のものから当業者が本願発明を容易に推考することができたか否かが審理の対象となっていたところ、引用例の第10図などからは前示のとおりカバー片に対する排気口の位置を正確に読み取れるものでないことは明らかであり、その旨を認定した上、この点を相違点とした審決の認定に誤りはない。

(4)  したがって、審決が引用例に関し「引用例に記載された発明は、展開されたカバー片の外側で、該カバー片により閉塞されない位置に排気口が形成されているか否か明らかでない」と認定し、この点のみを本願発明との相違点として摘示したことに誤りはなく、審決取消事由1は理由がない。

2  審決取消事由2についての判断

(1)  甲第2号証(本件願書)によれば、本願明細書に次の記載があることが認められる。

「(従前の)このようなエアバッグ装置では、通常、衝突時に膨張するエアバッグで乗員の前方移動を受けるのに伴って、該エアバッグ内のエアを排出するようにしている。

(発明が解決しようとする問題点)

上述の如く排気口を設けることは、乗員がエアバッグにぶつかる際の衝撃を緩和する意味で有効であるが、エアバッグの膨張に伴って前記排気口が変形しあるいは塞がれて、一定の排気量を確保できなくなることがあった。

例えば、前記排気口をエアバッグ側部に設けると、ドア側の排気口部分がドアに圧接して排気口が塞がれて有効なエアの排出が行われず、運転者側に設けると、運転者自身の体で排気口が塞がれて前述と同様に充分な排気量が確保できない場合があった。加えてエアバッグ用の流体、例えば窒素ガス等が直接運転者に向けて排出される不具合があった。」(2頁4行ないし3頁1行)

「以上の如く本発明によれば、エアバッグ装置におけるエアバッグの、膨張時にステアリングホイールの内側となり且つ展開されたエアバッグ装置のカバー片により閉塞されない位置に排気口を形成したので、車両の衝突時に膨出するエアバッグによって乗員に反動が生じるのを防止し、さらに、乗員がぶつかることによって排気口が変形したり、カバー片に塞がれたりすることなく一定の排出量を確保でき、エアを乗員に向けることなく排出できる。」(6頁16行ないし7頁5行)

(2)  これらの記載によれば、本願発明は、エアバッグ装置の安定したリバウンドの防止に必要な一定の排気量を得ることを技術的課題として特許請求の範囲に記載された構成を採用し、これにより乗員がエアバッグ装置にぶつかることによって排気口が変形したり、カバー片に塞がれることなく一定の排気量を確保することができるという作用効果を奏するものと認められる。

(3)  前記1(2)のとおり、本件出願当時には、排気口を形成する際にエアバッグの早期膨張を重視する設計思想、及び、エアバッグのリバウンド防止を重視し膨張時においても排気が妨げられない場所に排気口を形成するという設計思想が存在していたものであって、そのいずれの設計思想に基づいて排気口を形成するかは、当業者が任意に選択し得るものであったといえるところ、本願発明の上記技術的課題は、エアバッグのリバウンド防止を重視し膨張時に排気が妨げられない場所に排気口を形成するとの設計思想と共通する。

そして、引用例に記載されているような車両のステアリングホイールにリテーナを取り付け、このリテーナ内にガス発生器とエアバッグとを収納し、これら発生器とエアバッグとを展開可能のカバー片を有するカバーにより覆うとともに、内部への流入流体によりエアバッグを膨張させて該ステアリングホィールと乗員との間に位置せしめるようにしたエアバッグ装置の排気口の設計においても、エアバッグのリバウンド防止を重視し膨張時でも排気が妨げられない場所に排気口を形成するとの設計思想を適用することは、当業者が予測し得たことと認められる。

そうすると、引用例に記載のものにおいて展開するカバー片との関係でエアバッグの膨張時に排気が妨げられない場所はカバー片の外側でしかないのであるから、審決認定の相違点に係る本願発明の構成は、当業者が容易に想到できたものというべきである。

(4)  原告は、本願発明のような、リバウンド防止確保のための安全性を強く考慮し、排気の確保を重視するとの思想や、その実現のための、膨張時に展開したカバー片により閉塞されない位置に排気口を設けた構成は、引用例その他の文献にみられるベンツのエアバッグ(引用例、甲第6号証、甲第7号証、甲第8号証、甲第10号証)には全くうかがわれず、本願発明とは技術的思想を異にするものであり、また、本願発明の技術的思想及びその実現のための構成は、本件出願前には開示されていなかったから、本件出願当時、エアバッグに排気口を設ける場合に排気口が塞がれないようにすることが設計上当然に考慮されていたとはいえず、本願発明は、引用例に記載のものに基づき当業者が容易に発明できたとはいえないと主張する。

しかしながら、前示のとおり、乙第1号証に示されているように、本件出願当時既に、リバウンド防止を重視しエアバッグの膨張時においても排気が妨げられない場所に排気口を形成するとの設計思想が存在していたのであり、引用例に記載のものをそのような設計思想によるものとすることが当業者にとって困難であったとの事情はうかがうことはできないから、原告の上記主張は採用することができない。。

(5)  以上のとおりであるから、審決が相違点について「必要量のガスの排出を確実に行えるようにするためには、……排気口が塞がれないないようにすることが設計上考慮される。」との前提に立ち、「引用例に記載された発明における排気口の位置を、必要量のガスの排出を確実に行えるように、膨張時に、本願発明の上記相違点で示したように、展開されたカバー片の外側で、該カバー片により閉塞されない位置に排気口を形成する構成とすることは、当業者が容易に想到できた。」と判断した点に誤りはない。

第6  結論

したがって、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、原告の請求は棄却されるべきである。

(平成11年3月25口頭弁論終結)

(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 塩月秀平 裁判官 市川正巳)

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